珍しく早い発表だと思ったら、三浦(健)がPaul Hodderに替わり就任だそうだ。
Hodderは契約コーチであろうから、期限切れということもあろうし、彼自身、日本でいうところの単身赴任であったようだから、よほどのことがない限り長くもいられないのだろう。日本以外の国で単身赴任というのは、相当に異例な筈である。
チームからは、先に増田事務局長も市職員に転出(期限付きの県職員として採用され、釜石市に派遣という形のようである)。
KSWか新日鐵住金かわからないが、いずれ(恐らく)少なからず人件費のかかっていた者が2名チームを去ったことになる。
これに関して、オラの邪推は二通りあるのだが、一つはそのゼニを専業選手獲得に充てるのではということ(尤も、それであれば邪推というのは適当でないが)、あと一つは書かないでおく。
ときに、釜石の選手リクルートの難しさは、残念ながら遠隔地ゆえというところにもある。
新日鐵釜石の黄金期は、学生ラグビーの人気絶頂期でもあり、松尾雄治の後継者として早稲田のスタンドオフであった本城を獲得しようとしたことがあったそうだが、彼はサントリーに行ってしまった(これは森、松尾両氏の対談番組の中で触れられていたように記憶する)。
当時、日本選手権者であったにもかかわらず釜石を選ばなかったのが、その地域性故なのか、松尾の後を襲うのをよしとしなかったからなのか、はたまた職業観なのか、その辺は定かではないが、どうもオラは田舎者の僻みで考えてしまう。
選手専業の時代となれば、釜石にいるのもいよいよ一時のことであって、アマチュア時代とは事情が異なるとは思うが、それでも、条件的に有利ということは、多分、なかろう。